山内徳信

やまうちとくしん



当選回数回

山内徳信の2002年の発言一覧

開催日 会議名 発言
04月25日第154回国会 衆議院 憲法調査会 第3号
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○山内徳信君 公述人の山内徳信でございます。  意見を申し上げる機会を賜り、厚く感謝を申し上げます。私は、沖縄戦を生き残った者の一人として、本日は、率直な意見を申し上げさせていただきたいと思います。  一、初めに、あの光景を忘れるな。  かつて大英帝国の植民地下にあったイン...全文を見る
○山内徳信君 今、中山会長から、日本の安全保障についてどのように考えておるかという質問でございました。  私は、今の憲法に接しましたのは、敗戦後六年目の一九五一年、読谷高校の生徒になったときでありました。その当時、私たち高校生に配られた教科書は、文部省発行の「民主主義」という表...全文を見る
○山内徳信君 私は、地方自治体の首長を六期させていただきました。そして今、日本は世界一の長寿国を誇っております。二〇二〇年、二五年、それは大変な状態になります。少なくとも私は、自治体におりますときから申し上げておりますことは、今の自衛隊がそのままの性格で存在していては、日本の国そ...全文を見る
○山内徳信君 九十九条については、実は私は、私の執務室には、憲法九十九条を額縁に入れて張っておいたんです。それはなぜかといいますと、政治にくちばしを入れてはいかないはずの人々が、戦後、憲法が制定されてから、例えば天皇メモというのが二回出てまいります。  したがいまして、今の長期...全文を見る
○山内徳信君 私は、ファシズムという言葉を書きながら、歴代の内閣を全部チェックしてみたんです。そうしますと、ごく最近までの内閣も、靖国神社の問題をめぐっても、思い立ったが、隣国の動きとかいろいろな国内の状況を見て、思いとどまる心のゆとりが過去の内閣総理大臣などにはあったんです。行...全文を見る
○山内徳信君 今の憲法九条は見事にできていまして、脱法行為を後世の人々がやるかもしらぬからということで、一項、二項というふうにきちっと、それはあの惨たんたる光景を見た人々は、再びそうあらしめてはいかぬと言うのです。私は、九十九条を考えるときに、天皇から摂政から国務大臣、国会議員、...全文を見る
○山内徳信君 国家の名において、沖縄が戦中戦後、そして日本の独立のために異民族統治下に置かれ、沖縄は屈辱の四・二八と言いました。独立国家日本に他国の基地がこれだけあるということは、これは独立国家のメンツからしても望ましくない。この政策で減らされた基地の大半は、日本であるはずのこの...全文を見る
○山内徳信君 戦後日本は、これほど立派な憲法が制定されたのに、その憲法に依拠した日本の国づくりを、特に政府、国会議員の皆さん方は努力されなかったと思います。敗戦の中から目指したのは新生平和国家日本でありましたが、あのような苦しい生活状況でございましたから、経済へ経済へ、こういう方...全文を見る
○山内徳信君 戦前の有事体制を体験した唯一ではございませんで、たしか垣花先生も戦前世代でございます。  私は、沖縄戦がひたひたと迫ってくるその当時のことを、この有事法制が提案されました四月十七日でしたか、地域の婦人たち、地域のおじさんたちが、再び戦争体制に入るんだねという電話が...全文を見る
○山内徳信君 私たちは、小学校生も、高学年は読谷飛行場をつくるのに動員されていますよ。学校は、校舎は兵舎に変わったんです。公民館も全部兵舎に変わっていった。そして、これ以上は申し上げませんが、経済も教育も生活も、ありとあらゆるすべて、国の方が物を言ってくる。聞かないのは、罰則でも...全文を見る
○山内徳信君 山内でございます。  憲法九条以外について、どういう見解を持っておるかというのが一番目の御質問でございました。  例えば新しい人権とか環境権だとか日照権だとか、戦前戦後、日本国民が知らなかった権利が、既に、戦後半世紀の間に次々と確立されて、判例としても出ておりま...全文を見る